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光市母子殺害事件」に対して死刑判決が下った。


山口地方裁判所無期懲役(2000.03.22)
・広島高等裁判所:控訴棄却(2002.03.14)
最高裁判所:審理差し戻し(2006.06.20)
・広島高等裁判所:死刑判決(2008.04.22)


9年の長きに渡り世間を騒がせてきた事件にようやくひとつの結論が指し示されたといえる。


・18歳の少年犯罪
・稀に見る凶悪な犯罪
・少年に改悛の情なし
・法律と少年法との乖離
判例主義一辺倒な司法制度

・法律や司法制度と現実社会との乖離
・加害者および被害者の利益、公益
・マスコミによる世論誘導の問題
・中立かつ冷静な報道姿勢の欠如


こんな風に簡単に振り返ってみても、非常に根の深い事柄が幾つも絡まった難題であったことがよく分かる。


しかしながら、その中でも事件の被害者遺族として、この裁判を闘ってきた本村さんが発してきた個々の発言は非常に明晰で有用なものばかりで、現状の日本において未だに死刑という刑罰が存在し、かつ適用されるというその意味を、期せずして、日本国民1人1人に問いただす役割を演じることになったように思う。


本村さんはこの事件の審理が続く過程において、それが当然マスコミを通じて報道されるであろうことを念頭に置き、いつも自分の意見を明確に持ち、報道との質疑応答に対して明瞭な意識を保ちつつ、考えうる全ての問いに対して明朗に回答できるように準備してきたのだと思う。


また、その返答はできるだけ感情的にならないよう配慮された至極真っ当なもので、さらに、そういった返答が報道を通じて視聴者に渡ることによって、視聴者がある種の問題を想起させるように、よく練り込まれたものだった。


「君が犯した罪は万死に価します。いかなる判決が下されようとも、このことだけは忘れないでほしい」
「司法に絶望した、加害者を社会に早く出してもらいたい、そうすれば私が殺す」
「過去の判例に囚われず、それぞれ個別の事案を審査し、その世情にあった判決を出す風土が生まれることを切望します」


この3つを取り上げただけでも、本村さんの行ってきた発言が、死刑という刑罰の持つ意味のほとんどを明晰に言い表し、現状における問題点を炙り出してきたことがよく分かる。


・碌に整備されていないと言っても過言ではない被害者に対する補償制度
・99%の有罪率やそれに伴う冤罪
・執行する側の行政面での対応
・社会的システムとして死刑を考えた際の、死刑という刑罰の経済的合理性

炙り出されなかったと思える問題点は、これぐらいしか思い浮かばないのだが、これは本村さんが発言することが妥当ではなかったり、本村さんを不利にする類いのものであるため、為されなかったのだと思う。


今回の判決と世の流れを考え併せると、今回の判決を手放しで喜ぶ気にもなれず、3権と報道の暴走がさらに加速されていくようで、非常に暗澹とした気持ちにさせられるが

・被害者の遺族に対して陳述の機会が与えられた。
・被害者の遺族が裁判をきちんと傍聴できるようになった。
判例に従うだけが裁判ではないと言うことを示した。

という3点について確実に大きく前進したことや、刑罰の妥当性という観点でこの社会問題を身近に考えさせてくれたことに対して、本村さんに本当に感謝したい。


警察、検察、裁判官、弁護士、報道、そして法務大臣

みんな1人1人が Automatic じゃいけない。

勿論、国民も。




 もしも裁判員に選ばれたら—裁判員ハンドブック


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