とりあえずビール

「とりあえずビール」という文化はおっさんだけ。というエントリが増田に上がっていた。


今どきの人たちは「とりあえずビール」というのがどういう意味なのか全く分かっていないようだ。


「とりあえずビール」という文化、とこの今どきの人は書いているのだけれど、この「とりあえずビール」というのは確かにお約束事としての日本的しきたりであり決まり事であって、いわゆるひとつの文化的礼儀作法のようなものと言えるのだが、この作法の意味を理解する世代と理解しない世代には「組織の中で個人がどういった振る舞いを行い、どう関わっていくべきなのかといった規範」の大きな断絶がある。


お店のことを考えると注文はまとまっていたほうが楽なんだろうけど、やっぱりお金を払うなら、時間を消費するなら最初から好きなものを飲んで過ごしたい。


とか言ってるあたりがまるでこのお決まりごとの意味やそれを受け入れざるを得なかった世代というものを全く理解していないことを完璧に露呈していると思う。


基本的に飲み会というのはほとんどプライベートなものだと、そう今どきの人は思っているかもしれない。けれども親父さんほどの世代の人にとっては、お酒を飲むからといってもそれが会社関連の飲み会である限り、プライベートだと言う意識はほとんどないのではないだろうか。それは会社の延長であり少しだけ肩の力を抜いて少しだけ放言をしてもよく少しだけ気を緩められる、そういったいつもと同じ一般的会社社会の延長である閉鎖的空間に過ぎない。部長さんは偉くなってある程度好きなことを言えるようになったかも知れないが、そこはやはり偉くなったなりの部長としての気遣いが求められる場でしかない。


それに対して、そういった組織やその中の上下関係や人間関係を過度に意識して行動したり、同様なことを当然のように期待されるという部分における意識の方向性や質が劇的に変化した今どきの人にとっては、会社の飲み会というのはプライベートが少し仕事に寄った程度のそれほど気持ちよくない解放空間であり、仕事場の延長とは認識されない少しだけ縛りのある比較的自由な空間なのではないだろうか。


さてここまでの解説でこの推理と仮説の中身が分かっただろうか? たぶんおっさんは何となく分かってくれたのではないかと思うのだが、今どきの人たちには今イチちんぷんかんぷんなんじゃないかと思う。


まず第一に、会合の最初の「とりあえずビール」ってのはおっさんたちが会社的行事としての飲み会を始めるにあたって、ここからは「一段緩いギアでいくよ」ということを宣言して会に参加するみんなでそのことを強調して「乾杯」と唱えることによってトリガーを動作させ、みんなで一緒に連帯感を持って一杯目を減らすに従ってギアを緩めていくというお約束の社会的な儀式であって開会宣言である。


そして間の「とりあえずビール」は「話ししてみようよ」というきっかけを作りだすための約束事であり、一定の儀式を執り行いながら回った頭に考えを巡らせつつひと呼吸おいて互いに一時の猶予を与えるための仕組みであって、要するに会話を始めるにはまず先にお話フラグを立ててビールの儀式を執り行い、それから会話トリガーを引くという決まった手順があるということだ。


さらにこういった清く正しきその伝統と格式ある儀式に従うと、飲み会という名の会社の会合は最後に必ず偉いさんの閉会の辞とか、一本締め、三本締め、三々七拍子できっちり締めくくることが予定調和の儀式となるのである。


だから部長さんの「もう若者が何を考えているか分からないなぁ」という言葉をごく普通の部長という偉い職務をこなすおっさん的常識に照らして今風に翻訳したならば「なんでそんなにさらっとバカみたいにKYなの?」または「あんたほんとに日本人?」ということになる。


そういった具合に国や地方、地域といった違いだけでなく当然のように時の流れとともにKYとされるものは大きく変わっていく。だからこのおっさんと同じようなことをこの今どきの人が感じるようになった時、この今どきの人は自分がおっさんになったことを心の底から思い知ることになるだろう。だから石に刻まれた大昔の言葉が「今どきの若いものは」だったりする訳だ。


そういった「とりあえずビール」や「とりあえずのビール注ぎ」が良いことなのか、悪いことなのか、残した方がいいのか悪いのか、などといった難しいことは分からない。だが、そういった決まり事にはひとつの飲み会という場を打ち壊さないという作用や、会合を行ったという達成感を醸成するといった作用が確かに少しはある。良く言えば組織的一体感を醸成するための協調的作業といえるし、悪く言えばナチズムのはしくれということになるだろう。


まぁ、そんなことは考察したり説明したりした所で全く仕方のないことなのだけれど、意識が会社の延長であって会社で部下とうまくやっていくための飲み会という意識のあるお偉いさんの部長が「とりあえずビール」を使いながらきっかけ探しつつ話しかけてきたことに対して「とりあえずビールはおっさんの文化。」だけで物事を切って捨ててしまったその状態は、波田陽区の「残念」と「切腹」(おっさん古っ!)が二人の背後にスタンドとして浮かんでいたとしか思えないような状況であったと想定され、かなり明瞭に痛々しかったのではないだろうか。