107年間灯り続けている電球


107年間も灯りをともし続けている電球 : Gizmodo Japan


> ただ1回の例外は、1979年に消防本部から第6ステーションに移動した22分間のみ。


1900年頃から、22分だけ休憩した以外はずっと今も灯いている電球。


この電球は、本当にすごくいろいろな偶然がたくさん折り重なって、ほんとうに幸運なことに、こんなにも長い時間灯り続けているのだけれど、この記事を見て、すごく心温まるとともに凄く心寒くなった。


昔からずっと、いろんな物や道具は大切にされてきた。


この電球ができた頃に生まれた人達なんていうのは、それがどんな物であっても、物を捨てない人が多かった。そういう習慣が身についていて、ほんとうに物が勿体なくて全然捨てられない人だらけだった。


昔から物とか道具は、手入れしながら手直しして修理しながら、本当にもうどうにもならなくなってしまうまで、ずっと使う物ばかりだった。それが当然のことだった。


でも、そういった習慣は、ここ100年の間に完全に崩れ去ってしまった。僅か30年前はまだ、テレビやオーディオ、ラジカセと言った物でもできる限り修理して長く使おうとする風潮が確実にしっかりとあった。


それは、簡単に言ってしまえば、いろんな物を作るために多くの手間暇がかかることにより物や道具などの値段が高かったため、新しく買うよりも修理した方が安かったということもあったのだろうし、精密に加工すると高くつくことや、修理して使い続けることを前提としていたこと、機械仕掛けの部分が多かったことなどから丈夫に作らざるを得なかったという部分も多々あるのだろうと思う。


それが、プラスチックによる簡単で安価な物体の成形と産業用機械の進歩、電気の普及と共に身の回りの様々な家事をこなす家電品の普及と半導体技術が進むことによってその家電品を操作制御する部分が電気基盤に専用の半導体と安っぽい手押しスイッチの組み合わせで簡単に作られるようになったことによって、身の回りの生活用品を始めとする日用品の値段は加速度的に安くなっていき、それとともに大半の物が駄目になったら捨てるだけの「使い捨て」になってしまった。


そして、今や、世界中がゴミだらけになってしまった。


まだ物を修理して使うという考え方が一般的だった頃と今とでは、物づくりに対する考え方がまるで違うような気がする。物が使用される用途に対してどれだけ素晴らしい能力を発揮するかということは非常に大切なことなのだけれども、それと同時にその製品を買った人がその製品をどれだけ長く愛用してくれるかということを、昔はとても大切にしていたように思う。今は、それに代わってその製品をどれだけ安く作るかにメーカーは腐心しているように思う。


言い方を変えるなら、昔は製品が愛用されることに心を割き、現在は製品に対して文句を言われないようにすることに心を割いているという言い方ができるかもしれない。


日本においては、昔の面影を残すことなく形骸化してしまったソニーが、その典型と言えるんじゃないだろうか?


ソニーの製品というのは昔から同じ程度の物でも他のメーカーと比べて確実に数割割高な場合が多かったのだけれど、ソニー製品はその割高な値段を払拭するだけ売れていたし評判も高かった。実際、ソニーの製品はブラウン管テレビのトリニトロンと携帯型カセットテープレコーダーのウォークマンにおいては、品質的にもほかのメーカーのものと比べて明確に優れていたように思う。


ほかの製品に関してはどうだっただろうか? 他の製品に関しては、残念ながらソニーの製品が明確に優れていたということはそれほど無かったような気がする。でもソニーの製品は、どの製品でも当たり外れが少なかったように思う。また、デザインにしても製品の性能にしても、ソニーは現代から未来をいつも確実に志向し、それを形にする製品づくりを行ってきた。


また、そういった製品の品質や耐久性を担保していたのは、国内の優秀な下請けと、そこで行われてきたソニー基準とも言われる厳しい要求基準によって達成されていた側面が多々あったのだろう。そういった様々な要素の複合によって、ソニーの製品は神話とまでいわれる製品群を作り出すことができたのだろう。


つい最近、昔のES系統のアンプをヤフオクで落としたと喜びの声をあげていたソフト制作者の方がいたのだけれど、確かにその頃ソニーが生産していたESシリーズのオーディオ製品の品質や耐久性とその値段を考えると、現在の2年も使わずにケータイ電話を乗り換えていく消費行動や、また下手をするとそこまで製品が持たないという現状は、本当に一体何なのだろうと、よくよく考えさせられてしまう。


昔は、物も、電球も、家電製品も、もっとより良く、もっと長く使えて、大切に愛される製品を増やして、もっと楽に、より良く生きようという夢をみんなが追いかけていた気がする。


でも、時代が進んでグローバリゼーションと言う名の過当競争が進み薄利多売短期製品が世の中を包み込んだ結果出現した現代は、低価格競争により悪貨が良貨を駆逐する世界となってしまった。


そしてこの世界観は資源や動植物から人間までのあらゆる地球環境のすべてを飲み込んで、不毛な使い捨て文化を世界中にあまねく行き渡らせて覆っている。


このとどまる所を知らない地球規模の破滅型浪費状態を、人間は一体どういう方向に持っていこうとしてるんだろう?